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 「倫理的な食べ物って?」という記事より。

残念ながら、話はそんなに簡単じゃない。「倫理的」食物の三大品種、有機食品、フェアトレード食品、地元食品 (地産地消) を疑問視するべきまっとうな理由がある。世界をよくしたい人々は、買い物を変えてもダメだ。世界を変えるには、もっと退屈な仕事が必要なのだ。たとえば政治とか。


 私は、体験と信念を持ってフェアトレード食品や地産地消を広める活動に取り組む人々を知っているので、それを無意味と言うことはできない。
 だけど、気候変動と同じように正反対の意見があることは知っておくべきだし、それらの活動に「弱々しさ」を感じていたのも事実なのだ。
 この記事で挙げられている興味深い反論は次のようなもの。

有機農法は、化学肥料のかわりに輪作や糞尿、堆肥に頼るので、集約度はずっと低い。だから世界のいまの農業生産を有機農法で生産しようとしたら、現在の数倍の農地が必要になり、森林はまったく残らないだろう。

 これはその他の問題改善においても言われることだけど、「昔には戻れないんだよ」という話。有機農法は人口の少なかったかつてならともかく、現在の農業生産を賄おうとするならあまりにも「スロー」過ぎるのだろう。
 ただ、「飽食」と言われる食生活が是正できるなら、どうだろうか。これは、あまりに漠然としているか。「我唯知足」とはいかないもんな。

フェアトレード食品は価格をつり上げるから、農民たちは作りすぎの製品から他の作物に転作せずに、かえってその作物を作り続けるようにしてしまい、その結果かえって価格は引き下げられることになる。だからほとんどの農民にとっては、当初の意図とは正反対の結果を招くことになる。そしてフェアトレード食品の上乗せ価格分のごく一部しか農民にはわたらないので――ほとんどは小売り商に行く――この方式は金持ち消費者に自分たちの気前のよさを過大に評価させ、貧困削減を簡単なものにみせてしまう。


 これも良く言われていること。皆が簡単で高収入になるコーヒーを作ってしまうから、価格が下落してしまい、自立にはほど遠い状態になる。金銭的な援助が身にならないのと同様の問題かもしれない。

ほとんどの人は、畑よりはスーパーマーケットの近くに住んでいるので、地元食品を重視すると、生産者に直接みんなが買い物にでかけてかえって移動距離は増える。食物を運ぶのに、スーパーマーケット式にぎっしり詰め込んだトラックを使うのが、食物輸送にいちばん効率がよい方式なのだ。


 多くの人間が住む都市部から、農村部に買い物に行く方が、スーパーにトラックで作物を運ぶよりも、環境負荷が高い、ということだろう。
 イメージは、できる。地産地消も、「昔はこうだった」という懐古主義の要素が強い。「作る場所」と「住む場所」が乖離していなければアリだけど、そうでないのが現在。消費の大きな地域が自ら生産地となる、というのはあまり現実的ではないだろう。

 そして一番の「毒」がこれ。
有機食品の支持者たちは、「地球に優しい」なんていう理由で有機食品を支持しているんだっけ?


 いや、違うと思う。
 健康とか経済的な理由でしょう、こういうのは。省エネだって、声高に気候変動のことを訴えてはいるけど、当人である消費者が実行するとすれば、経済的なモチベーションだと思うな。
 だけど、それが悪いとかってことじゃなくて、結果的に環境問題が改善されるないいじゃないか、とうのが私の持論。
 皆、住み易さ、生き易さのためにエゴイスティックに生きればいい、とさえ思う。ただ、今のままの考え方では駄目。気候変動によって世界は確実に住みにくくなる、住みやすい世界のためには何かしなきゃ、と思うようなパラダイムシフトが必要だ。

 と、まあ、これも私個人の考え方であって、正反対の考えをお持ちの方も当然おられることでだろう。
 環境問題のように様々な要因が複雑かつ有機的に絡み合っている問題を考える場合は、清濁合わせ飲む気持ちじゃないといけないだろうと思います。

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